2019年11月09日

楠本高子

フォン・シーボルト 出島のオランダ商館医として日本赴任する。
出島内において開業の後、1824年には出島外に鳴滝塾を開設し、西洋医学(蘭学)教育を行う。
日本各地から集まってきた多くの医者や学者に講義した。
代表として高野長英・二宮敬作・伊東玄朴・小関三英・伊藤圭介らがいる。
塾生は、後に医者や学者として活躍している。
そしてシーボルトは、日本の文化を探索・研究した。
日本女性の楠本滝との間に娘・楠本イネを1827年にもうける。この娘がオランダおイネである。
天文方高橋景保は伊能忠敬の『大日本沿海輿地全図』の縮図をシーボルトに贈った。
この縮図(禁制品)をシーボルトが国外に持ち出そうとして発覚されて国外追放となる。
のちにイネは西洋医学を学ぶことになる。実は私などこのイネが国家資格をもった最初の女医だったと
暫く記憶しておりました。だが。
1884年(明治17年)、医術開業試験の門戸が女性にも開かれるが、既に57歳になっていたため合格の望みは薄いと判断、
以後は産婆として開業する。以前紹介したように最初の女医は荻野吟子です。

このイネの娘が高子です。シーボルトの門下生石井宗謙に強姦されてできた子でした。
また高子も医師に強姦されて出産しており親子2代悲劇に遭っております。
然し歴史は面白いものです。
松本零士氏がこの高子を発見しました。

その美しい容貌は、松本零士が『銀河鉄道999』のメーテルや『宇宙戦艦ヤマト』のスターシャのモデルにしたと言われている。
正確に言うと、メーテルの造形は松本がオリジナルのものとして造りあげていたが、その後、ある機会に楠本高子の肖像写真を見て
「この女性こそ、自分がずっと思い描いていた女性だ!」と衝撃を受けたようです。
母親イネもハーフでありながら当時は随分と綺麗な人であったようです。
メーテル、スターシャをみたら松本零士がずっと思い描いていた女性だ!と
感じていただければと思います。

シーボルト 門下生であった
二宮敬作は師の恩を忘れず随分とイネの世話をしたようです。吉村作品にそう描かれております。

楠本高子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A0%E6%9C%AC%E9%AB%98%E5%AD%90
「私の名前は、メーテル。」
https://www.youtube.com/watch?v=UBGbon35qKo&t=227s
スターシア
https://www.youtube.com/watch?v=W6LadAAqKAQ
posted by azu at 09:43| 日記 | 更新情報をチェックする