2020年05月24日

アキちゃん


同僚が急に週末有給とると言いだした。
何かあるのと聴いたらにやにやした顔でこう言ったものだ。
「いや孫の参観日」に出ると言う。
「えっ、両親ではないの?」
彼が説明するには祖父母の参観日がその幼稚園にあるそうだ。
孫から電話が来て
「お爺ちゃん!きてね」
とお願いされたら、それは断れないよ!とか言ってたが。
これが亭主のほうの両親も出席で計4名となったらしい。

まぁどこもおなじだろう。
嫁いだ娘はいまでも叱りつけることもあるが、まぁ孫だけは
例外だろう。どこも甘い。

昔、こんな話をきいている。
孫はすぐ近くに住んでいたそうだ。そこで頻繁に出入りする。
して何か買ってあたえる。

小さい頃は飴、菓子など与えては随分と喜んでいたらしい。
だが、長じるにつれその金額があがってくる。
中学生になった孫はこうせがんだらしい。
「おばあちゃん、何々ゲームソフト買って!」
「いくらするんだい」
「35千円」
「、、、、」
して彼女は私にこうこぼした。
あぁ〜孫来るのは嬉しい。だが、帰るのはモット嬉しい!

と言うが年寄りのお小遣いで一番使うのが孫にである。
とにかく与えるのが楽しみなのだろう。
まぁまぁいいんじゃないだろうか、と私は思う。

それで日本のGDPも少しあがるでしょう。笑
実は私も孫には弱い。
ここ数日、ユーチューブで歌をきいている。
爺ちゃんの遺伝子だろうか。滅茶唄がうまい。
うちの孫は今後、世界に羽ばたくだろう。とか楽しみにしている。

だったら嬉しいのだが、名前だけは娘と同じだが違う。
アキちゃんは今年小学校を卒業したようだ。
彼女の映像をみていると、同僚のように何か小学校の学芸会に
出演する孫を応援している気分になるから不思議である。

まぁユーチューブでは随分とありますので観て欲しいものです。
おそらく多くの人、我が子、孫とに重なるでしょう。




【怪傑ハリマオ】いまこんな曲うたう人いないでしょう。

posted by azu at 18:36| 日記 | 更新情報をチェックする

2020年05月10日

だっぷんじやあ

志村けんさん。本名は志村 康徳(しむら やすのり)がコロナで亡くなりました記事は既に承知と思います。
昔、撮った映像でしょう。
小学校時代彼は東村山の分校に通っていたそうです。

なぜお笑いの道へ進んだのか。それは小学校3年生のときにあった運動会が原因だったという。
そして運動会は本校であったようです。
徒競走があり、志村さんは緊張でおなかがゆるんでいた。我慢したが、
「用意!ドン」と駆け出すと同時、ついに大きい方を漏らしてしまった。

ついたあだ名が「うんこたらし」。志村さんはなんとか「屈辱を払拭したい」と思った。
まあこれでお笑い芸人の道に進んだはじめの契機になつたとか。なかったとか。
これは嘘でしょう。小学校3年生では先ず想像できないでしょう。
ただ人を笑わす才能はあつたらしく当時のエピソードも残つております。

さて時代遡って。家康


三方ヶ原の戦いは、元亀3年12月22日(1573年1月25日)に、
遠江国敷知郡の三方ヶ原(現在の静岡県浜松市北区三方原町近辺)で起こった武田信玄と
徳川家康・織田信長の間で行われた戦い。
信長包囲網に参加すべく上洛の途上にあった信玄率いる武田軍を徳川・織田の連合軍が
迎え撃ったが敗退した。この時、家康は敗走中恐ろしさのあまり馬上で脱糞したと言う説がある。
敗走中の家康が恐怖のあまり脱糞し、浜松城に入城した後に家臣から脱糞した旨を咎められて
「これは味噌だ」と家臣に言い放ったという逸話がよく知られているが、
この話は出典となる史料が判明していない

敗戦後、家康はしばらく夢でうなされた。しばしばこの戦で死ぬ夢を見たという。
これは小説でもつかわれております。

さて私も。小学校の頃、下校中に急に腹がゆるんできました。
本当は駆け出したいんですが、子供心にもそれはヤバイだろうと考えたものです。
そこで漏らさないよう静かに小股、うちまたで歩きます。
いまならコンビニで済ませるんですが当時は便所などありません。
それも我慢は自宅まで半ばでした。半ズボンの下からポロリ、ポロリ。
まぁ泣きたい気分になったものです。

母親が玄関先で私のあり様を見つけて。
「まあお前!、、」大きな声で叫んでおりました。

この脱糞事件は子供心にも相当傷ついたものです。以来、二度ないよう
いまもポケットに正露丸(小瓶)を持ち歩いております。

脱糞して志村さんは芸能界に名を遺し、家康は日本史に遺し、私は
恥ずかしだけがのこったようです。

尾籠なる話で恐縮です。

https://www.youtube.com/watch?v=1r_5zzpZtPw

息抜きタイム


posted by azu at 16:22| 日記 | 更新情報をチェックする

2020年04月26日

北海道伝説

伝説とは?歴史民俗用語。
特定の人物や事物をめぐって語り伝えられ、かつてその事実が本当に起こったと
信じられているもの。
次第に歴史化・ 合理化される傾向をもつ。言い伝え。
私の場合、何となく繋がりがあるようだが、史実に多少、無理があるようで
然し物語とすればこれはこれで面白い!と言う事でしょうか。


さて、
よく知られている義経伝説を紹介しましょう。
北海道にもいろいろな伝説があるのは承知のとうり。
「マリモ伝説」「コロポックル伝説」「摩周湖伝説」
 
「義経伝説」等まだまだあげれば多数あります。
これらは観光ガイドなどで多分紹介されておるでしょう。 

まぁ、大変失礼だと承知しますが私などこの伝説などは
幾ら読んでも頭にははいりません。

「昔、むかし、在るところにお爺さんとおばぁさんが住んで
  いました。川で洗濯をしていたら大きな夕張メロンが、、」笑

と、まぁこんな感覚となります。
ただ「義経伝説」の場合は実在した人物ですので、若いころ

気になり調べたことがあります。
あの九朗判官義経は父義朝の九男として生まれました。

長男は義平、三男が頼朝ですね。
軍事的な天才と評されております。これは誰も異論がないでしょう。

で、奥州、衣川の館で妻、娘ともども自害しております。行年三十一。
                      

ここから「いや、死んではいない!」という説が出たわけですね。
つまり不死伝説です。ここから海音寺潮五郎著「武将列伝-1」

を引用します。
「義経は日本歴史の中で最も民衆の評判のよい人だ。そのため

 に彼の末路に同情するあまり、古来いくども義経の不死伝説がでた。
 
 曰く、義経衣川に死せずして、蝦夷地へのがれた。曰く、
  蝦夷地から大陸に入って清朝の遠祖となった。曰く、
 ジンギス汗は義経である。ぼくはこれらの説を信じない。」

 氏はこのようにきっぱりと否定している。

またジンギス汗説は、井上靖著「蒼き狼」を読めば義経説は
まず考えられない

これはおそらくだが「元朝秘史」などを参考にしているはずだ。
また、義経自害後対立した梶原景時等によって首実験されている。
まず考えられないだろう。

だが、生存して大陸に渡った説はなんとなく理解はできるものだ。
判官贔屓と、いうやつだと思っている。

この北海道で義経伝説はおおきく12説、また全部あつめると
120説あるとも云われているらしい。

英雄はいつまでもこころの中に生きて欲しいと言う民衆の願望
なのかも知れない。

以上、駆け足で述べてみました。

「 」「武将列伝ー1」286頁4行引用」

チンギスハーン出生1162(不詳)〜1227
義経     出生1159〜1189 

http://www.town.biratori.hokkaido.jp/kankou/bunka/bunka3/
posted by azu at 20:50| 日記 | 更新情報をチェックする